校章・校歌

校歌

   
作詞 深尾須磨子
作曲 高木 東六
1
  白根連山 駒ヶ岳
  山なみ遠く また近く
  光る希望の青い雲
  たぎる泉もわいている
  ここに叡智の花かおる
  北中学よ 我等の母校

2
  甲斐の都の 学び舎に
  世界の友とよび交わし
  築くたのしい生活よ
  若いいのちがすこやかに
  つよく明るくもえている
  北中学よ 我等の母校

3
  北のほまれのひとつ星   
  寒波にひらく梅の花   
  永久の理想をかざしつつ   
  進む学びの友われら   
  歌う心の友われら   
  北中学よ 我等の母校

校章・校歌・校旗の制定

一 校  章

北中学校が発足してまもなく、校章を決めようという意見が職員・生徒たちの中から持ちあがり、いろいろ話し合われた。

その結果、他校の校章など参考にして、図工科担当の先生が図案化した三、四のものを検討して現在のものが決定された。

校章のもつ意味は、外側は梅の花であり、寒い冬を過ぎ、春に先だって花を開く梅花のように雄々しく、寒波にも負けない不屈の精神の持ち主であり、りりしく、きぜんとした態度であってほしいという願いがこめられていることは論をまたない。中側は星の型で北極星を意味している。甲府市の北部に位する北中学校、満天の星の中、さんぜんと輝く北極星、人生航路の指針になるような強く正しく、理想を求めて進む学徒であってほしいという意味をこめてこの校章は制定されたのである。あれから二十年、今日も北中生の帽子に衿にこの校章が輝いている。

二 校  歌   

白根連山駒が岳
山波遠くまた近く
光る希望の青い空  
…………  
……
北中学校の校歌、いつ口ずさんでもほんとうに意味深いりっぱな校歌である。

昭和二十六年十月七日、この校歌は制定された。甲府一高の講堂を借りて校歌発表会を盛大に挙行して以来、一万余の卒業生、在校生に愛されて今日まで来たが、また今後も歌い続けられるであろう。

この校歌制定の過程であるが、当時の校長山崎俊雄先生が校歌のない学校というのは寂しいし、また生徒たちに人生の指針をあたえる歌がないのは残念と、校歌制定にふみきられたように思っている。当時の音楽担当の先生方の御努力で歌詞は深尾須磨子先生、作曲は高木東六先生にお願いして作っていただいた。作詞作曲ともに当代日本の一流中の一流の先生に依頼して、多額の費用をかけて完成した。これを作るために深尾先生は一週間くらい甲府に滞在なされた。南アルプスを眺められたり、勝沼の葡萄郷を探勝なさったり、また本校の教育方針や内容を検討されたりして、かくもりっぱな校歌をお作りくださったものである。余談だが、この結果、北東中、韮崎高校も本校同様、深尾先生に作詞を依頼されたとか聞いている。

考えるに校歌というものは、いつの時代にも変わらず歌うことの出来る理想をえがいたものでなければならないと思う。ほんとうに本校の校歌を味わいながら歌い続けてほしいものである。    

北のほまれの一つ星    
寒波にひらく梅の花    
永久の理想をかざしつつ    
進む学びの友われら    
…………
……   

三 校  旗

校旗も当時の校長山崎俊雄先生が作製を決意されたのであるが、その作製に対するお考えが、また実にりっぱであった。

それはP・T・A の予算によって作ったり、特定の人々の寄付によって作ったり、まして個人の方の御芳志でつくったりするものではない、全校の生徒・父兄・教師が学校を愛するという気持ちをもって、いくばくかのお金をだし合って作るところに意味があるというお考えであった。

そのために、各教室に校旗募金の箱が置かれたり、父兄会の折には屋体の入口に箱が置かれて募金がなされた。日ならずして十万余の金があつまり、京都の西陣に発注されて今日のりっぱな校旗が仕上がったのである。昭和三十一年十月十四日、秋の運動会の開会式に校旗樹立式を挙行して現在にいたっているが、入学式・卒業式の折にステージに飾られる校旗、運動会の生徒大行進の先頭をきって進む校旗の姿………
今後も生徒たちの思い出の一つとして残ることであろう。